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2004年12月05日

ロスト・イン・トランスレーション(Directed byソフィア・コッポラ)


ロスト・イン・トランスレー...Lost in Translation



アメリカ人である俳優ボブ(ビル・マーレイ)と主婦シャーロット(スカーレット・ヨハンソン)。彼らは、実生活でなんとなく虚しさを感じていたが、異国の異質な「記号」群がどんどん自己を際立たせ、どうしようもない孤独を感じるようになる。そんな二人が出会ってしまったら−−。

「手に手をとって駆け落ちを決意するも、シャーロットが不治の病に冒されており死ぬ。結ばれぬままに終わる悲劇の恋」
「頑なに愛を拒むシャーロットのせいで不慮の事故に遭うものの、献身的な介護の末に快復。シャーロットは運命的な愛を受け容れる覚悟をする。そんなとき二人は実は兄妹であったことが発覚! また、ボブは事故時の傷が元で失明することを知り、彼女を傷つけまいと去っていく・・・(翻る萌黄色のマフラーが素敵)」
−−流行りの純愛路線の展開だとこんな感じだろうか。
しかし本作では、あえて男女の恋愛物語の枠を外した。ソフィア・コッポラが描きたかったことは、恋愛よりもずっと深いところにある人間の不安と孤独である。それをてっとり早く登場人物たちに感じさせることができる場が、アメリカ人には奇矯に映る文化をもつ「日本」だったというわけだ。あたかも異星にいるかのようなボブの戸惑い顔は秀逸…いや絶品! これを見たらソフィアが日本を選んだのは正解と認めざるを得まい。

撮影を終えたボブと、いつも部屋でゴロゴロと無為に夫を待つだけだったシャーロットは、パークハイアットホテルのバーで知り合う。ここは歌手も客も外国人ばかりなので耳慣れた英語が飛び交い、来日したばかりの二人には落ち着く場所だ。ちなみにこのパークハイアットは、安いと評判の一休comで予約しても最低一泊6万はかかる高級ホテルなので、日本では当然、非日常的空間。日本国内の異空間が彼らのテリトリー、ということを見せて、そこから二人を脱出させて自分探しをはじめさせる−−このバランス感覚はなかなか心憎い。


異国の地に流れる日本語のカラオケやら読経やらといった「音」(彼らにとっては何の意味も持たない「音」でしかない)、富士山や京都の寺といった「溶け込み難い風景」など、そこらじゅうに溢れる記号に包まれ、ますます自分自身を見失っていく。
そういった記号群の中にいて、彼らは自ずと己の存在そのものに疑問を投げかける。
その答えをボブはシャーロットに、シャーロットはボブに求める。それは、常日頃から不安を抱かせる妻や夫ではなく、ただこの地で出逢ったお互いのみがこの記号の中において、実感できる確かな存在の輝きを放っていたからだ。

一人で部屋にいるときに感じる孤独より、群集の中で耳元に、あるいは風の中にふと感じてしまった不安のほうが、より恐ろしいものだ。右も左も分からない異国にいて、互いを感じ取ることで自分の居場所を確認し、不安や混沌を振り払うかのように、二人は楽しげに遊ぶ。歌舞伎町のネオンの中を子供のように走っていく姿は、息を飲むほどに美しい。素直に「ああ、こういうのっていいなぁ」と嘆息を漏らしてしまう。ボブが行きずりの女性を部屋に入れたことを知ったシャーロットが、「おとりこみ中?」と気にしていない風を装いながらも、ちょっとすねてしまうところもたまらなく可愛い。しゃぶしゃぶ屋で仲直り、といきたいが、選んだ店が悪かった。二人とも作り方がわからないのだ。「自分たちで料理させるなんて最低だ」と文句を言う二人だが、逆にそれが二人の「共有」となり、関係はより強固なものとなる。

だが、楽しかった遊びは終わりを告げ、また日常へと戻る日は否応なくやって来る。二人が離れてしまえば、いつもの生活が待っているだろう。「日本食がうまい」というボブに「なら日本に住めばいいじゃない」と言い放つ妻の許へ帰ることを、ボブは諦観をもって受け容れている。だがイエール大卒の自分の学力を活かして何かをしたいと思いながら、それが何かすらわからないシャーロットは、これからの日々をどう過ごしてよいのかわからない。だからこそ、別れ際、ボブはシャーロットに会おうとし、シャーロットはボブには会わないようにする。

ボブはシャーロットを捜し求め、黒い群集の中に彼女の光り輝くブロンドの後姿を見つける。車を停めさせ、シャーロットの許に走り寄るボブ。互いの存在を慈しむように、しっかりと抱擁しキスをする。
ここで二人の関係に決着がつく。

遠く日本で出逢ったあの人との時間、共有できた想いは本物だった。会えないことは分かっているけど、私はもう一人じゃない。

それを確認し、二人はそれぞれの日常に戻っていく。


唐突に京都へ行ったり、キモノ姿のカップルを見せたり、富士山の麓でゴルフをしたり、と「これは単なる外国人へのサービスカットじゃないの?」と思われるような部分もないわけではないけれど、総じて良い映画でした。カルチャーギャップや発音の違いに戸惑って、マシュー南がビル・マーレイを小突き回して・・・といったギャグ映画という先入観(どこで植えられたんだ?)があったので、こんなに真面目に男女の内面を描いたものとは思いませんでした。結構、拾い物でしたね。恋愛ではなくて、これは永遠に繋がる愛です。妄想愛なんて呼んじゃだめです。ええ。

それにしてもスカーレット・ヨハンソンはちょっとソフィア・コッポラに似ているような気がするのは私だけだろうか。ちょっとすねたような厚い唇、ツンとした鷲鼻、冷静な眼差し。あからさまな美女ではないけれど、とても魅力のある顔立ちをしていると思う。ソフィアといえば、筆者は真っ先にケミカルブラザーズのプロモーションビデオ(スパイク・ジョーンズ監督)を思い出します。ソフィア、激しく新体操してます! 
映画のほうはパッとしないけど、ミュージックビデオを撮らせたらスパ・ジョンは天才です。もし観たことのない方がいるなら『スパイク・ジョーンズ/DirectorsLabel スパイク・ジョーンズ Best Selection』は絶対おすすめ。スパ・ジョン本人もダンサーチームリーダーとして出て、世にも奇怪なダンスを見せてくれます。

また観たくなってきたなー。スパ・ジョン♪
posted by まりあ at 19:37| Comment(6) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
まりあ様

初めまして。元・物書き志望の現・映像屋です。

「ロスト・イン・トランスレーション」は俺も引っ掛かる映画でした。
決して好きではないのですが、言及すべき類…かな。
概ね、まりあさんの指摘はごもっとも。
映画は常々、他文化への窓としての機能が美しかったりするのですが、最近、ホウ・シャオシェンの「珈琲時光」といい、外人が日本で撮った映画を観ると、もっと多層的に映画や自分や自分の映画を意識しなければと思います。

ところで、ロスト・イン・トランスレーションのラストは嫌いです。恋愛としてのラヴシーンにしか見えないし(それにしてはヌルイし)、あれは明かに監督の“妄想愛”だと!見るのは男の視座っすかね?
それまで結構気に入ってみていたのですが、ラストで監督の妄想を押しつけられたようで引きました。
押し付けちゃ、いけないと、思います。

ちなみにスカーレット・ヨハンソンをキャスティングする際、ソフィア・コッポラが「自分に似てるから」と言ったとか…

ついでのついでですが、スパ・ジョンはソフィアの元夫ですぜ。

長文で失礼。今後も更新を楽しみにしています。
Posted by K太郎 at 2004年12月06日 23:30
K太郎さま

はじめまして! 記念すべき初コメントを頂戴し、ありがとうございます。映像関係のお仕事をされている方に読んでいただけたとは…嬉しさいっぱい恥ずかしさてんこもりといったところでございます。
未熟者ですが、今後ともよろしくお願いしますm(_ _)m

あれだけ褒めておいて何なんだ?とお思いになられるでしょうが、筆者はS・コッポラの「ヴァージン・スーサイズ」も本作も、実はとても苦手なタイプの映画です。内面を描いた映画は大好きなんですが、彼女だけではなく女性監督の撮る女性性というものにどうにも感情移入できず、どう食いついていいのかわからない…。いや、差別じゃないです。これは私個人の資質の問題で。
一応、まだ恋愛適齢期・独身女子である私ですが、考え方はオッサンに近いので、本作は当然ビル・マーレイ側で観ていました。だから入り込みやすかったのですが。

あ、懸案のラストに話を移しますね。
あのラストはビルおやじの「夢」なんでしょう。まあ現実的に考えたら、ホテルのエレベーターに消えていったスカーレットが街中にいるはずないですからね(すっげー健脚であれば話は別ですが)。
でもそれを言ってしまったらロマンがないじゃないですか。ラストは当然、二人の関係をどう着地させるのかになりますが、あのラストシーンは「二人の想いの形を映像で表すならこれしかない!」というソフィア女史の志のあらわれだと受けとめました。女々しいロマンの表出といわれてしまってはそれまでなんですが、彼女の手腕でしょうねー。何者も寄せ付けない美しさと作り手の強い意志があったので、すべて許してしまいましたw
昨今のあからさまに泣きを要求する雑な作りの純愛モノより、(好き・嫌いは別にして)あのシーンにも照射されていた製作側の高い志と作品への愛情を買いたいなーと思ったわけです。あのラストはK太郎さまもおっしゃるとおり、ぶっちゃけ妄想なんですが、孤独な登場人物たちにああいうロマンを与えてもいいと思うんですよ。映画ならではのファンタスティックな魔法です。
本作は脚本賞を獲りましたが、私にはシナリオや映画の作りといった技術面より、画面から窺える「作り手の愛情」が印象的に映りました。

愛情を込めて作られたといえば「珈琲時光」もそういう映画でしたね。友人の映画ライターは、作り手の愛に打たれたようで絶賛していました。

そして、おぉー、スパ・ジョン♪
いちばん好きなのはやはりローマン・コッポラに撮らせた「Praise You」とクリストファー・ウォーケンの怪ダンスが観られる「Weapon Of Choice」(ファットボーイ・スリム)です! あと逆回しで1本撮りきっちゃったヤツ、あれも凄い。ワンアイディアでここまでできるっていう良い見本でしたね。
そういえばDVD内で彼は、ソフィアからインスピレーションをいっぱいもらったと言ってました。ソフィアにスパ・ジョンの突き抜けた笑いのセンスが出てくれば、さらに良い監督になったと思うんですが。

…離婚は惜しかったなぁ。

Posted by まりあ at 2004年12月07日 16:39
なるほど。ラストはビル・マーレイの妄想という見方は想定しませんでした。それなら矢張り、「パリのアメリカ人」ばりにミュージカルになっちゃえば分かり易いのですが。どちらにしろ、あの映画を恋愛映画と捉える課長は現役のロマンチストですよ!

あと言い忘れましたが『ねむれナイト・コルポ・グロッソ』俺も昔ケーブルで良く垂れ流してました。あの馬鹿馬鹿しさは癖になります。特に、あんま状況を把握できていなそうな出演者と、ノリノリの司会者およびオネーサン方の顔の対比が面白かったです。まさに異世界に入り込んでしまったかのような出演者達の困惑した顔は、平気で裸になるオネーサン達に対するカタルシスとして凡庸な日常の安定剤として重宝してました。あれほど裸になることが無意味な番組は類希っすね。
Posted by K太郎 at 2004年12月07日 20:02
おおー、再びK太郎さまではありませんか! 書き込みありがとうございます。
いやこの場合は恋愛っていうか、もっとシンプルな「愛」ですよ、「愛」。

現役のロマンチスト−−ええ、その通りです。これからはそう名乗ることにします。決して「妄想野郎」と自分を貶めてはいけませんな! 実はこのブログのタイトルを決めるときに「まりあの妄想日記」としようとも思ったのですが、そうなると別の日記を期待されそうなのでやめたという経緯がございます。

『ねむれナイト〜』ファンがいらして嬉しいです。司会のおっさんも捨てがたいのですが、やはり出演者の中でも群を抜くやる気のない踊りとボディをしているニルデ嬢は最高です。仕事で疲れた頭をフニャフニャにしてくれること請け合いです。機会がありましたら、ぜひチェックしてみてください。
Posted by まりあ at 2004年12月07日 20:45
『LIT』は大好きです。
懐かしのトレンディードラマもセンスがいいとこうなるというね。(エドワード・ヤンしかり)
ビル・マーレー色気ありますねえ、大好きです。
ソフィアはハッキリいってオヤジさんより上手いとおもいます。
昨年のボクのベスト10には入れなかったんですけど、こういうラブ・ストーリー最高ですよ。
ソフィアってたぶん相当性格悪いと思います。
Posted by 秋日和 at 2005年03月06日 17:38
音楽も素敵でした。「風をあつめて」はよかったなぁー。
前作は「女子臭」が強すぎてあんま好きになれんかったのですが、今回のはこの女子臭が逆に奏効していたように思います。
ソフィアは不細工だの大根だの散々言われてますが、俺はあのテの鼻っ柱強そうな顔、好きだなー。
性格はいいわけないっすね。離婚を全部旦那のせいにするあたり、愛らしい人です。

俺、たぶんビル・マーレーとも話が合うと思う。秋日和ともいろいろ話せそうだと思う。
Posted by まりあ at 2005年03月07日 09:46
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